怪集のチュートリアル
因果地図の攻略アドバイス
怪集/2009とは――
ぶっちゃけ、これだけの簡単なことです。
汗を掻いたと思うのが自分だけではダメ、でも汗を掻いて書いた作品が大勢に気に入られれば自作の評価が高まり、評価の高い作品がたくさんあれば、それだけ傑作選の占有率が高くなる――そういうルールの椅子取りゲームです。椅子の独り占めが可能な。
攻略のヒントも何もなく、王道は「たくさん書け」「いいのを書け」。たくさんの人に評価される傑作をたくさん書ければ誰でも残れます! 攻略の奥義、伝授終了!
……て、これだけではなんですので、作品の増加をチュートリアル的に見ていきましょう。
まず第一にすべきことは、虫をモチーフにした怖い話を書くこと。どれにどう繋ぐとかそういうことは抜きに、とりあえず怖い話を書くこと。
自信のある話を思うがままにどんどん書いてみるほうがいいです。
何もないところから書くほうが楽に書ける人もいれば、何かの条件やお題をもらうと俄然意欲が湧く人もいますね。拘束条件がないほうがいいフリーダムな人、多少障害があったほうが燃える人、そのへんは書き手のタイプによって様々ですので、束縛が厭な人はとりあえず書くだけ書いてみる。白い紙を見ると思考が停止するタイプの人は、他の人が書いているものをヒントとしてとりあえず読むところから初めてみる。入り口はどこからだってかまいません。
一行、オチだけ書いてみて、書き足していくのでもいいでしょうし、いつもそうしているように細かいプロットをガッチガチに書いてから始めるのもよいでしょう。他のコンテストに応募しようと思って手を付けたんだけど、厭んなって放り出した没アイデアでもいいですよ(笑)
怪集の最低限の約束事は、「怖いこと」「虫」「他の作品に因果を繋げる」です。
怖いかどうかは主観の問題、好みの問題がありますので指針を示すことは難しいんですが、基本は「俺は怖いと思った! 君はどう思う?」でいいんだと思います。そもそも他人に聞いたり確認するまでもないことであれば、わざわざ書く必要もなく、当然聞く必要もありません。自分はそう思うけど、自分以外はどう思っているかわからないから、書いて、それを人に読んでもらって、意見を請うわけです。
だから、意見をもらうまでの間の基準は「自分にとってそれが怖いかどうか、自分以外の人にそれを問うほどのことかどうか」それだけ考えればよく、「怖がってもらえないかも?」というのはあまり考えなくてよいかと。
出してみてダメだったら次は別のことをすればいいわけで、怪集は何度でもやり直しokですから。
怖いのができたな、と思ったら。
今度は既にあるどれかと繋ぐことになります。
ここですが、「他の作品と設定上の因果関係を持つこと」と小難しく書いていますが、これは「どちらも場所が海」「小道具が同じ携帯繋がり」「乗り物繋がり」「マンション繋がり」「登場人物は同じ体験者」くらいの緩い連鎖性でも構わないんです。
音楽で言えば、前の曲がフェードアウトしつつ次の曲がフェードインしてくることをクロスフェードと言いますが、そのときに楽器が同じ、コードが同じ、歌手が同じ、というくらいの緩い繋がりがあると、次の曲に違和感なくシフトできますよね。それぞれはまったく別の曲なんだけど、それぞれの曲の中に共通の要素があると、続けて聞いているといつのまにか次の曲になってた、気付かなかった、なんてことはよくあります。
そのようにスムーズに次の話に移行するためのギミックが「どれか公開されている他の話と繋がってること」というルールなわけです。
逆に、何の接点もない話をいちいち頭をリセットして大量に読むのって、読む方は大変なんですよ。途中で興味が途絶えてしまうので。続編、あの話の続き、後日談、と言われると、前の話と今から読む話の中に関連性を見出そうとするので、読者も入り込みやすくなります。そうやって、少しでも読んで貰いやすくしよう、というのがこの辺の決まりなんですね。書いて書きっぱなしで誰も読んでくれないかもしれない話、読まれにくい話を真っ暗な穴に放り込み続けるのは辛いじゃないですか(笑) だから、少しでも読んで貰えるように。
そうするためには、やはりどこかで既に発表されている話とぼんやりでもいいから繋げていく、そういう必要が出てきます。既にある話を読んでから、それに合わせて話を書くというのが楽ではあるでしょうけれども、それでは拘束されすぎて辛いという人は、先に書くだけ書いてみてから、接点がありそうな話を読み探して、「これ、この話とうちの話には繋がりがある!」と思ったものに、因果を繋げばよいかと思います。
応募前(公開前)であれば、「ここにこういうキーワードや設定を挟めば、この話と繋げるかな?」という後付けの修正も可能ですし。
では、どういう話が繋ぎやすい、裏返して言えばどういう話を書けば繋がれやすいか? と言いますと。
第一には「怖くて面白い人気作」。人気作は、そこから刺激を受けて話を書く人もたくさん出てくるので、それこそ「自分の通った後に道ができる。片側五車線の交差点とジャンクションができる」という状態になっていきます。そこに繋げば、他の話を読んだ人がジャンクション経由で読みにきてくれる可能性が高くなります。
もちろん、自分もそういうのを書けば繋がれやすいんですが、人気が出るかどうかは書いてみて評価されてみないとわからない話ですよね(^^;) 自分が自信あっても誰も読んでくれなかったり、誰も自分と同じように怖がってはくれないかもしれませんし。だからこそ、「唯我独尊、孤高の巌窟王」にならないためにもいろいろな話を書いて出して模索していく必要があるわけなんですが……。
第二には、可能性が広げられる余地がある作品。ひとつの話の中に、様々なキーワード、膨らますためのネタの卵などなど、発展させられるヒントが鮨詰めになっているものは、それだけで「繋ぐアテに困ったらあそこに繋げ!」的な意味で重宝されるだろうと思います。
ただ、「ネタのヒントにはなるけど、話そのものは大したことない」ということになってしまうと、先々作品が増えていくと、ただの通過地点になってしまう恐れがあります。同じように様々なヒントがたくさん入っていて、しかも面白い話というのが出てきたら、今度は迂回されてしまう可能性もあります。一長一短です。
ただし、自分が書いた話に自分で因果を繋ぐ、というのはNGです。
それだとただの連載になっちゃうので。自分が書いた話同士を繋げるときは、間に必ず一作品以上、他の人の書いた作品が挟まっていなければなりません。
怪集では、個々の話同士の接続を因果地図というもので見られるようにします。
これは書き手のための「人気が手薄なところ/人気のあるところを探すための地図」でもあるんですが、同時に読者のための「読み広げガイド」でもあります。
Frieve
Editorのファイルフォーマットであるfip形式で配信しますが、実際にはこんな風になります。
ここでは、B、D、E、Fの順番に公開された、と思ってください。Bは因果の種(サンプルとして最初に公開された火種作品)ということにしておきましょう。
まず、Bしかないので、D、E、FはBに因果を繋げました。Bを読んだ人は、それと連続性があるD、E、Fを、Bの繋がりとして読むことになります。
もちろん、先々になればBを読む前にD、E、Fを先に読む人も出てくると思います。そうすると、繋がりのあるBを介して、他の作品も追っていくことができるわけですね。
B〜Fに次いで、G、H、Lが登場してきました。
GはF、B、Dの三つに枝を繋いだんですね。これで、F、B、Dを読んだ読者がGを読む可能性が高くなります。HはFとE、LはEとDにそれぞれ繋いでいます。これが表と出るか裏と出るか。B〜Lまでの作品の評価は、その後に続く作品がどこに因果を繋ぐかで段々と差が付いてきます。
ここで増えたのは、えーと、K、M、N、J、Wですね。
Nは種作品のBとFの双方に繋がる話、Kは直接接点のなかったHとGを繋ぐ話として書かれたようです。
WとMは種からはだんだん遠くなってきました。怪集では直接隣接していない作品と設定は共有していなくてもいい(矛盾していてすらok)ので、WとJ、K、M、K、Hあたりは、Bとは直接繋がらない話として展開していきます。
また、Fは自分が繋いだ枝はBへの1本だけですが、G、N、W、Hと4本もの作品から枝を繋がれています。だいぶラブコールを受けているというか。Fは人気があるハブ作品、書き手からの評価が高い、ということになります。そうでなければ「使い勝手のいい設定が詰まってる」かです。
大変ですよね、そうなったら(笑)
では、この問いの意味がピンとこない人のために、シミュレーションしてみました。
地図でけー、と驚きますが、このダミーの因果地図でもA〜Zまで、アルファベットの数と同じくらいしかありません。上流で繋げる枝は3本まで。それを最大限に使う人もいれば、ひとつしか思いつかなかった人もいた、というシミュレーションになっています。なお、この因果地図ではA〜Cが種作品で、この三つのみ上流がありません。他は必ず上流が存在しますが、結局誰も続いてくれなくて下流が存在しない作品はかなりあります。
この図で言うと、Z、S、W、M、Jなどがそうです。つまり、そのあたりの作品はそこから励起される人が少なかった、ピンと来なかった、人気がないということになりますが、それ以外に「作品としては面白かったけど、完成度が高すぎて誰も入り込めない」というものもあったかもしれません。
Fの人気は相変わらずですが、I、Dもかなり人気があるハブ作品に成長したようです。
後から来た読者が、常に最初から順番に読んでいく……とは限りません。
目に付いたところから適当に、因果図を見たらウニかイガグリみたいになってるのがあったので、余り繋がりがなくて可哀想だったので、などなど、読み始めの理由は様々でしょう。人が読んでいる話題作ばかりを追う人もいれば、絶対に誰も読んでいなさそうなカルト作ばかりを好んで追う人もいます。読書の趣味ばかりは、何かを基準に良いの悪いの言えないですからね。
では、これを傑作選に入れることになった、とします。
A〜Zまで26作品あるけれど、傑作選には23作品しか入らない。つまり、3作品が没=非掲載ということになると、当然ながら連鎖から外れてしまうものが出てくることになってしまいます。
例えば、多くの枝が繋がれていたI。Iの上流にはD、B、E、下流にはK、L、M、J、T。上流下流合わせて8本と繋がっていた一大ハブ作品です。でも、審査結果ではあまり点数が伸びなかったみたいです。たぶん、「キーワードになるネタはたくさん詰めこまれていたけど、話としてはパッとしなかった」と、そんなところでしょうか。Iは便利に使われてしまった、ということになります(´・ω・`)
このIが非掲載になるとどこに影響が出るのか……というと、実は出ないんです。どこにも。
少なくとも3つの作品に枝を張ることができるので、そのうちのひとつが途切れただけでも、残りふたつが生きていれば大丈夫ということになります。
例えば、Mは、K、L、Iに枝を張っていましたので、KとLが生き残っていれば大丈夫。
KはH、G、Iと、それぞれ接点のない3本に枝を張っていましたので、Iが消えても問題ありません。Jも同様。 Tはちょっとやばいですね。
では次に、これまた人気のあるハブ作品だったFも非掲載になったとします。
マズイです。WはFにしか繋いでなかったんですね。
人気作にぶら下がっておけば大丈夫、と思っていたら、その親亀がコケてしまったので、小亀のWも巻き添えです。完全に因果地図から孤立してしまいました。
実はPもやばかったんですよ。Wと同じくFにしか繋いでいないので。
でもWはその後に作品が続かなかったのに対して、PはSから枝を繋がれていましたので、辛うじて因果地図内から孤立せずに残ることができました。
できるだけたくさんの話と枝を繋いでおくことは、こういうときの保険というか。
また、枝を繋がれやすい=良いと評価され、他の作者にインスピレーションを与えるような作品は、他の作品によって救われることにもなるわけですね。
ついでに種作品のAも没にしてみましょう。
怪集では種(=サンプル)としてプレ・オープン時期に公開された作品も、7/15以降は審査の対象となります。人気がなければ容赦なく非掲載ですし、人気があれば傑作選入りです。
孤立しているのはWのみですが、Pの他にVもやばくなりました。
もしこれでCも落ちたら、V、X、Y、Z、U、Tが丸ごと因果地図から切り離されてしまうじゃないですか!
主催者! 主催者! これちょっと、システムの欠陥じゃないの!? 傑作選になったとき、因果地図が意味なくなっちゃうじゃん!
……まあ、茶でも飲んで落ち着きましょう。
つ旦
このようなケースでWが飛び抜けて面白い作品である可能性は、もちろんゼロとは言いませんが、あまり高くないだろうな、と想像しています。なぜなら、「本当に面白かったら他の誰かが続く可能性が高い」から。
もちろん、ゼロではない以上、Wが稀代の名作の可能性もあります。例えば、会期のいちばん最後の日に公開された、とか。新作が後に続けないようなタイミングで出された傑作で、あまり枝を伸ばしていなかった、というようなものは十分あり得る話です。
また、これより問題が大きいのは、Cが落ちた場合。V、X、Y、Z、U、Tは、AとCとIを介して因果地図のネットワークと繋がっていたので、そのうちのAとIが消えたことで、UがCに繋いでいる細い線一本しか残っていません。これも消えるとV、X、Y、Z、U、Tに傑作が混じっていた場合、傑作選(=本)の因果地図はブツ切れになってしまいます。
が、実際に傑作選に収録されるとき、途中を繋ぐ作品が非掲載で途絶えた場合は、QRコードで誌面からネット上に繋ぐことになります。まだCは生きていますので、ここではWを救済してみましょう。
Fは傑作選には収録されませんが、因果地図上でWの孤立はなくなりました。
間に挟まっていたはずのFを読みたい人は――エントリーblog上にはFのデータはそのまま残っていますから、本からQRコードを介してサイトへどうぞ、ということになるわけです。Cが喪失した場合も、この方法でV、X、Y、Z、U、Tは孤立を免れるわけです。よかったよかった。
ここから下は余談。
この考え方というのは怪集独自のものというわけでもありません。既に昨年、怪集のプロトタイプである遺伝記でも実践していますが、そもそものネタ元としてはアメリカ国防総省の国防高等研究計画局ARPA(現DARPA)が構築発展させたとある技術の概念です。ARPAがARPANETとして作ったそれは、今ではインターネットと呼ばれています。
インターネットは、元々は軍の命令を末端に確実に伝えるために開発されたものとして知られています。この図で言えば、Fが攻撃されて破壊されると、BやCから発せられた命令がWに届かなくなります。Wが報復のための核戦略爆撃機だったりして、中止命令がWに届かないと大事になります。……というのは、スタンリー・キューブリック監督の名作映画「博士の異常な愛情
または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」の命題ですが、そういう事態が現実に起こるのを回避するためにインターネットの概念が必要とされたわけです。
かつてのコンピュータネットワークは、上流のスーパーコンピュータに下流のコンピュータがすべてぶら下がっていたので、上流や中継地が壊れると下流の全てが離散してしまう危険性があったんですね。
そこで情報を中継するコンピュータがどれかひとつでも失われても、重要な軍事命令が末端に必ず届くように、サーバコンピュータ同士を複数相互接続し、途中の経路が失われても最終的には目的地に届くようにしたのがARPANET=後のインターネットの始まりだったのそうです。
怪集では、経路が喪失しても因果地図のネットワークが途切れないように、複数の枝を張り巡らせるようにしているわけですが、書籍上で途切れてしまう物理的制限を、Webと書籍をボーダーレスにすることで解決しようとしているわけなのでした。
自分のを書くだけでも大変なのに、人の話まで読むのだりー。わかります。
しかしながら。怪集は厭でも人の作品も目を通さないとならないようになっています。審査のためというのもありますが、読まないと自分の作品を他の作品と繋げられないですからね。
読んだついでにちょちょいと審査をするとよいのではないかと。貯めると絶対に辛くなります!(経験談)
おもしろい話というのは読む努力をしなくても頭に入ってきますし、読む努力をしないと読めない話というのは、他人の評価はともかく「自分には向いていない話」ということはわかります。そういう評価でよいと思います。
機転の利く人、与えられた制限・拘束条件を武器に変えられるような人であれば、条件フリーにすればもっと凄いモノを書くだろうなと思います。その意味で怪集は後々のための壮大な予選なのかもしれません。予選を突破しないでシード権を手に入れても、本番でのみ実力が発揮できるとは限りませんし。
自分のが本当に凄い、怖い、他人のは大したことない、という自信があるなら、自分自身の言葉で「どこがいいか悪いか」を説明し、点数を付けましょう〜というのは、必ず出てくるであろう「あんなの大したことがない、選んだ奴がおかしい、俺のほうが凄い」ということを言う後出しジャンケン的な不満を、未然に解消していただくためです。
審査は応募者以外もできますので、応募はしないけど「あんなの大したことない」と思うのだったら、川の反対岸から叫んでないで、橋を渡ってこちら側で堂々と「コレはダメ、ここがダメ」とやるといいんじゃないかなーと思います。その指摘が正しければ書き手は奮起して直してくるかもしれませんし、他の審査員もそうだそうだと続くかもしれません。
それでも自分の指摘に賛同者が現れなかったら、そのときはあなたが少数派ということで諦めてください(´・ω・`)
「文句があるなら今ここで言えい!」ということです。
誰でも好きなように批評批判ができ、点数もマイナスまで付けられるようにしてあります。
分け隔てなく審査できると思います。
本を作るのと売るのはプロの仕事ですが、本を買うのは本を買うプロ……いやさ、市井の一般人です。そして、大部分は「どこの誰だかわからない人たち」でもあります。そういうどこの誰だかわからない人たちによるブックレビューはネットのあらゆる場所に溢れています。今後、本を書く人たちは(仕事で書く人は特に)、そういう口に戸板を立てられないような市井のブックレビュアーの論評に右往左往していくことになります。
仕事で書いていると、意図と違う論評をされても、それらひとつひとつに「そうじゃないんだ違うんだ」と訂正して回ることはできません。厳しい世界です(´・ω・`)
怪集の審査に「己を量れ!」という自己審査と、「互いを諮れ!」という作者同士の相互審査の他に、どこの誰ともしれない人=一般読者の審査が入っているのは、そういう実戦を意識してのこと。プロデビューなんかしたら、身内の称賛を遥かに上回る手厳しい批判に晒されるものです。慣れておかないと。
審査のヒント。
これは、一貫性を持つということでしょうかね。
作品Aに対してはこれを理由に加点したのに、作品Bには同じ理由同じ指摘で減点、なんていうことをやってると、いい加減で適当、指摘も批判もアテにならない、ということになってしまいます。
喩えそれが他の人と違う着目点であっても、少なくとも自分の中では常に同じ基準で一貫性をもって審査をするのがよかろう、と。
同じことを続けるのに一番必要なのは、工夫することや努力することではなくて、工夫や努力をしなくても毎回同じようにできるよう、反復練習を欠かさないことと言われています。消防や自衛隊が身体を動かす訓練を繰り返すのと同じですね。それと同様、自分の感性、自分の基準に照らし合わせて自然体で審査できるようになるとよいのではないでしょうか。
もちろん、書いている最中に他人の書いた作品を読み、それが面白かったりすると大変萎えるという人もいると思います。わかります。僕もそうです。
皆さん、お待ちかねの話題です(笑)
怪集は、評価の高い作品が選抜されて刊行予定の傑作選に入ります。怪集の審査そのものは著者名を伏せて作品内容だけで判断していくことになるので、「あれも、これも、それも良かった!」と人気のあったものが、実は全て同じ作者のものだった、というようなことも起きてきます。
でも、その人が頑張って書いて、それを誰のとは知らずに内容だけで皆が点数付けて、その上で「よかった!」「他の人にも読ませたい!」と思ったものが皆その人の作品だったんだとしたら、それは偶然やまぐれではなくて、確かにその人の実力だった、ということになると思います。
努力した人、その努力の成果が評価された人には、それ相応の報酬があるべき。たくさん評価されるためにはたくさん書かなければならなかったわけで、それは胸張って受け取っていいと思います。
もし、一人で傑作選独り占めというような人が現れたとしたら、それは「凄い作家が登場したぞ!」ということ。読者にとっても版元さんにとっても嬉しいことです。なかなかできることじゃないと思うんですよ。
ここで、編集者的な話を。
傑作選は、恐らく224頁くらいの本になるだろうと思います。そのうち、前書きだの後書きだの結果発表だの総評だの目次だの奥付だの……といった諸々が入りますので、実際に作品本編を掲載できるのは、200〜208頁くらい。1頁は通常、39字×16行。作品タイトルが入るページは13行くらいです。
4頁程度の作品の場合、だいたい50話くらい入る計算になります。8頁なら25話くらいです。16頁なら12〜3話というところでしょうか。
この場合の1頁は39字×16行。1頁でだいたい600字くらい、byte数で言うと1200byteくらいです。
でも、1頁にきちきちに書くには、改行なしでぎっちり書かないとなりません。実際には300〜400字、600〜800byteくらい入るかどうかといったところでしょうか。
この辺りの呪文みたいな数字のことは、特に覚えておく必要はありませんが、ここからは何頁くらい載ればいくらくらいになるのかな、という生臭い話を(笑)
書籍の場合、印税報酬の計算式というのは日本全国どこに行ってもほぼ同じです。代入値が少し変わるくらい。ざっと言うと、「発行部数×価格×10%(著者印税率)=印税総額」という式になります。100万部発行、単価1000円の本の場合、単純計算すると印税総額は1億円になります!
……あ、落ち着いて落ち着いて。鼻血はティッシュで。
実際に100万部という数字はホントに特殊な数字で、そんなに出たら作者がテレビに出られて、作品が映画になります(笑) 夢ですよね、夢。
が、実際には大部分の書籍というのはそんなに刷りません!(断言) ではどのくらい刷るのかと言いますと、これは出版物によって様々です。作者が有名かどうか、シリーズ物か、シリーズの前の巻は売れたかどうか、映画などのメディアミックスがあるかどうか、話題性はどうか。実に様々な条件によって大きく変わるので、どのくらいとはちょっと言えません。会社によっても違いますし、発売直前とか直後までわからない場合もあります(笑) 契約書の秘匿事項だったりすることもあるので、知っていても言えないことがほとんどです。ので、この辺は割愛。ヒントを言うと、初刷が6桁まで行く本というのはよほどの有名作家でも最近は難しいそうです。単価1000円以上の本は、有名作家でも4桁スタートも珍しくないと言います。せちがらい話です。
価格というのは本体価格です。恐怖箱シリーズ600円の本なら571円くらいでしょうか。著者印税率というのは慣例で10%くらいが相場になっていますが、諸条件で変わる場合があります。イラストがたくさん入る本だとか、原作付き映画ノベライゼーション、ゲーム・ノベライゼーションなどのように原作ロイヤリティが発生するような場合や、発行部数が少なくて収益分岐点に届かないような本の場合は、10%より少なくなることもありますし、これまた様々に変わります。逆に10%を越えることはほぼありません。まったくないとは言えませんが、やはりかなり特殊なケースのみのようです。
で。この10%というのは、掲載著者全員の取り分の総額になります。全員で合わせて10%なんです。
ということは。仮に全体の1/10(20頁程度)を自分の作品が占めていたとすると、取り分は1%になります。1/100(2頁程度)なら0.1%です。自分の書いた作品が占める割合が大きくなればなっただけ、この数字は10%に近付いていくわけで、当然ながら取り分も増えていきます。
怪集の場合、この印税報酬がそのまま賞金相当ということになります。
たくさん書いた人。たくさん書いたものが片っ端から評価された人の作品は、そのまま傑作選に収録され、そのまま印税報酬が賞金になります。凄かった人は凄い額が(重ねて言いますがいきなり100万部とか1億円はないです(笑))、そうでない人もそれなりの金額が入ることになります。
初刷はそんな凄い数字は刷りませんが、重刷が掛かればもちろん追加で印税報酬の支払いが発生します。
重刷というのは「最初に刷った分じゃ足りないから追加で刷り足しますね!」ということなんですが、これはなかなか大変なことです。増刷分だって刷りすぎると余ったとき大変なので、ちょっとずつ刷り足したりするものなんですが、超長期にわたって売れ続けたりすると、結構大きな数字になります。また、「ハローバイバイの都市伝説」「オタリーマン」「生協の白石さん」「電車男」「嫌韓流」などのように、最初はそんなに売れると思っていなかったので、ちょっとだけ刷って出したら話題になっちゃって、数が足りなくなって大慌てで刷り足しを繰り返してミリオンセラーに、というような本もあったりしますので、傑作選が出てからもう一勝負あったりするかもしれません。それで100万部に……いや、ない。ないと思う。ないんじゃないかな。あったらいいな。そうしたら賞金が凄いことになりますもんねw 夢ですよ夢。
本というのは、売れると凄いというバクチのような側面があります。
だから皆、最大の夢を夢みて挑戦するのかもしれません。
傑作選が物凄く売れて莫大な賞金になるかどうかは、やっぱり応募作に全てが掛かっているわけです。
自分で書いて自分で稼ぐ。プロみたいですよね。
去年、怪集のプロトタイプである遺伝記をやってみて、案外と有望な人が何人もいたんです。2009年7月発売の【怪集 蠱】はこの企画と連携していますが、彼等は超-1の出身者だから小説を書くチャンスがあったのではなく、遺伝記で能力を実証して見せたから、次のフェーズに進んだ――ということです。
今年も、こういうことを仕事で続けていける人を怪集を通じて見つけられたらいいな、と思っています。